DOWA CSR報告書2017

特集:DOWAのあゆみ 創造と挑戦、原点の継承

黒鉱(複雑硫化鉱)

年表

DOWAと黒鉱

 当社創業の地である秋田の小坂鉱山は、銀を多く含む「土鉱」と呼ばれる鉱石を産出していました。1890年を過ぎたころから鉱石の枯渇が始まり、また金本位制によって銀の価格が暴落したことにより閉山の危機に直面しました。そこで新たに取り組んだのが、土鉱よりも地下深くに埋蔵されていた、豊富な「黒鉱」の採掘・製錬でした。
 黒鉱は、金、銀をはじめ銅、鉛、亜鉛、そのほかレアメタルなど多くの有用金属を豊富に含有しているものの、不純物も多く含んでいるために分離が難しく、現在でも製錬がきわめて困難だと言われている鉱物です。当時の未熟な技術力では、鉱石のごく一部しか利用することができず、とても事業化は不可能に思われていました。
 1902年(明治35年)、小坂閉山すべきとの声も上がるなか、当社の技術者が画期的な「生鉱吹き法(なまこうぶきほう)」と呼ばれる独自の製錬法の開発を成功させました。この生鉱吹き法の成功は、その後の日本における銅溶鉱炉製錬法の継続と発展への道を大きく開いたと言われています。
 この技術開発により、小坂製錬は大型の溶鉱炉を建設するなど順次生産規模を拡大し、国内有数の銅製錬所としての地位を確立しました。さらに金銀などへ製錬事業を展開しながら1907年(明治40年)には生産額日本一を記録するなど、日本の経済発展にも大きく寄与しました。その後も、製錬法に関する研究や改善を進め、1952年(昭和27年)には黒鉱中の銅・亜鉛を効率よく採取する硫酸化焙焼―浸出―電解方式からなる湿式製錬技術を確立し、黒鉱の完全利用を目指しました。
 時代の変遷を経て、1990年に小坂鉱山(内の岱)の採掘は終わりを迎えましたが、黒鉱から始まった製錬技術は、現在のDOWAの金属リサイクルに受け継がれています。

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鉱山からリサイクルへ

 昭和から平成に入り、廃棄物の増加や多様化、資源枯渇などさまざまな理由を背景に、社会は可能な限り資源を有効に利用する循環型社会への転換を目指し始めました。
 明治から平成までの4つの時代にわたり、日本の産業の発展とともに歩んできた小坂製錬は、変化するニーズに応え、鉱石を原料とする製錬から、使用済みの電気・電子製品から再び金属を取り出す「リサイクル製錬所」へと大きくその形を変えます。
 リサイクル原料は品質が一定でないことから、転換は簡単なことではありませんでしたが、かつて閉山の危機を前に黒鉱製錬に挑戦したように、さまざまな課題を技術の力で乗り越え、一つの製錬所内で多種類の金属を回収する技術を持つ世界でも数少ないリサイクル製錬所として生まれ変わりました。
 2008年4月に本格稼働したリサイクル原料対応型の新型製錬設備では、携帯電話や使用済み家電のプリント基板のほか、DOWAグループの亜鉛の製錬工程から排出する残渣なども原料として金や銀などの貴金属とセレン、アンチモン、ビスマスなどのレアメタルなど、20種類以上の元素を回収可能にしました。
 DOWAのリサイクルの大きな特徴として、多様な金属の回収に加え有害物質の安定化が挙げられます。長年培った鉱山事業の中で、不純物の多い黒鉱を取り扱うために独自の処理法を確立し、大気や水の保全に努め、環境負荷を低減する技術を築いてきたことが、リサイクルだけでなく、土壌浄化や廃棄物を安全に処理・処分する環境事業へと結びつきました。
 現在では、小坂製錬を核とする小坂地区、家電リサイクルを行うエコリサイクルなどが集まる大館市花岡地区、秋田市の沿岸に位置する秋田製錬からもリサイクル原料を受け入れるなど、秋田県内にDOWAグループのリサイクル関連企業が連携する環境コンビナートを形成しています。同時に、無害化処理と最終処分も地域内で完結することによって、環境への負荷を最小限に管理しています。
 私たちDOWAグループは、これまで危機や変化に対応することで新たな価値を生み出してきたように、これからも社会のさまざまな期待や要望に技術の力で応えていきたいと考えています。

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リサイクル図

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